2010年4月25日日曜日

復活の朝!


これでもかってくらいよく寝た3日間。お陰さまで復活!コメントやメッセージに感謝感激。 すっきりした朝の日曜日。 さあ、今日は年に一度の教会総会とやらがあるのでなかなか大変な一日になるやも。気張りませう。

いやぁ、寝すぎると肩がこる(笑)。

2010年4月22日木曜日

あれれ、やっちゃったぁ

 水曜日の午後は専門学校にボーカルを教えに行く日。新しく若い先生なんかもいて、新入生始めフレッシュな雰囲気。なのに僕は・・・、やっちゃいました。
 自宅出発時点から何だか変な感じ。
「こりゃ熱出るな」
蒲田の駅についたときにはちょいとフラっとする感じ。駅前のドンキで体温計を買い、とりいそぎ感冒薬のドリンクと栄養ドリンクを飲み学校へ向かう。でもみるみる体が熱くなってくる感じがわかる(当日は夏日で日差しもキツカッタ)。体温計は7度8分。やば、と思いながら講師控え室へ。
「陣内さん顔色変ですよ」
まじでぇ?もう一度計ると8度2分。どんどんいきます。喉も鼻もお腹も、どこも風邪の症状無しなのに・・・
「インフルかもしれませんから、先生、無理しないで下さい」
スタッフにそう促され、新入生に挨拶だけして帰る。
もう帰り際にはフラフラ。大事をとってゆっくりと丁寧に帰る。脈も100を少し超えているようだし。電車内ではマスクして爆睡。たった数駅なのに何十分も寝ていたような感覚。体の節々が痛くなってきて・・・。はぁ、やられたぁ。帰ってくると8度7分。

 思い起こせば、ここ3年半以上高熱を出すということはなかったのに。
いやそれまではね、年に一度こういう1泊2日とか2泊3日みたいな高熱はあってぶっ倒れてたんだけど、ここんとこなかったのになぁ。緊張感が途切れてしまったのか。あるいはここんとこの忙しさの知恵熱か(笑)。いやはや参りました。

 とにかくお医者に飛び込む。インフルの検査は発熱後10時間たたないと結果はでないそうで、
「とりあえずは沈痛剤のんで今夜は寝なさい」
とのこと。即効爆睡。汗でびしょびしょになって一度目が覚めたけれど、12時間も寝込んでしまった。いつもの3日分弱?
 目が覚めるととりあえずは熱も沈静化。でも7度5分くらいある。早速お医者さんへ。
「陰性ですね」
 インフルではなかったようで、胸をなでおろす。そういえば、最初は痛くなかった喉も少しずつ痛くなってきている。
「熱が先走ったんですね。ゆっくり休んで下さい。」
総合感冒薬をいただく。一つだけ、変更の効かない軽い打ち合わせがあったのでチョットだけ出かける。薬で少し楽だけど、やっぱり帰ってくると8度ある。はぁ、寝よう。

 参った。わかりやすいなぁ、オイラの体。

2010年4月17日土曜日

肥後もっこす

 熊本はどれくらいぶりなんだろう。それこそかつてはFM中九州のイベントやらKKTの番組やら、ライブやらプロモーションやらでよく足を運んだ時期があった。いやはや、懐かしい。。。
 16日お昼に到着。在日大韓熊本教会の金牧師が迎えに来てくれる。一旦熊本刑務所に明日の為の現地視察へ行く。電源等を確認してから昼食。黒亭という人気店へ。美味。

 そのまま日本キリスト教団草葉町教会へ。入口の巨大な十字架におどろきつつ。機材等のコンサート準備。直前まで人が集まってこずビビる(笑)。でも開けてみると大勢の方々が来て下さった。南国タイム感覚なのかなぁと思いつつも「皆さん仕事終わりで駆けつけてきてますから」なるほどそうか。嬉しい限り。



 今回の段取りの仲介役をしてくれた山口県の村田牧師(「そして僕は今日も歌おう」の牧師三連発に出てくる先生)もわざわざかけつけてくれたり、この春に福岡に赴任してきた新堀牧師(これまた前著に出てくるサンシンがお上手なセンセ)もわざわざ来てくれたりと、他にも恐縮しちゃう出会いがたくさん。最後には紙飛行機の乱舞もあって盛り上がれた。感謝。その日の夜は熊本出身の「今P」から進められた「桜肉のしゃぶしゃぶ」を頂く。熊本でしか食べられないそうで、すんごく有難く頂いた。


 翌朝は早く、8時に熊本刑務所入り。機材セッティングをしてリハーサル。10時からスタート。カトリック教会の方々や他の教会の方々のパフォーマンス後に僕の40分のミニコンサート。受刑者の皆さんが真摯に聴いてくれているのがすごく伝わってきた。歌によって色々な表情でレスをくれていた。かつて行ったことのある山口刑務所よりも少しピリピリした雰囲気があったけれど、、、でも、楽しそうに聴いてくれていてとても良かった。
「長い刑の人が多いんですよ」
 教誨師をされている金牧師さんに教えてもらう。そういう中での教誨活動、ホントお疲れ様だと思う。大変なお仕事だ。
「すごく良かったです」
 そう言ってくれる刑務官の方もいて、そこで働いている方も少し喜んで下さった、ということも嬉しかった。
 気がつけば快晴。機材を積み込み配送業者まで。
「お昼御飯食べたいものありますか?」
 う~ん、いつか行ったことのある桂花ラーメンの「本店」にもう一度いきたい。連れ立って行く。いや、東京にも桂花ラーメンはあるのだけれど、本店はメニューが多くて、その昔そこで食べた「中華丼」がスンごく美味しかった記憶・・・。なんと思い出通り中華丼があった。美味しいこと美味しいこと。ミニラーメンまでついてきて(写真)、ボリューム満点。記憶通りの美味しさに感動的舌鼓。

 熊本空港まで送っていただく。
「最後の最後まで見送りされる主催者の方々って良くいるでしょう?あれ苦手でしょ?」
 降車場で僕をおろしてサッと去って行かれた村田牧師。さすがです。大人。

 ゆっくり時間があったので一人お茶をしながらちょいと整理。ここには書けないようなディープな人間模様を今回はたくさん知ることができて、大きな学びになった気がしている。
 帰りの飛行機からは眺めがよくとても気持ちがよかった。四国、紀伊半島、名古屋、それぞれの思い出と重ねながら眺めてた。

さ、明日は日曜日。諸々の準備だ。ソソクサ。





 

2010年4月9日金曜日

知らぬ間に散りはじめ・・・



 正福寺での楽しい集いは無事終わり帰京。遠山副住職が住職に代わるころ、僕は僕で主任初のイースター礼拝。いつもより沢山の方々が来られるので準備後始末がそれなりに大変。お久しぶりに会えた方などもいて、午後は食事と共に交わりの時。うちの両親や四国の弟家族なんかも集まった。実は、48年間の牧師生活をこの春引退した父を「おつかれさん旅行」みたいなものに連れて行ってやろういう計画。もう一人の弟も集まり夕方出発。行先は、偶然で笑ってしまったのだが「河口湖」(笑)。昨日のステージであった富士吉田の正福寺さんを通り過ぎてほんのちょっとのところ。行ったり来たり・・・ハハ。


 ずっと牧師をやってきた人って、引退してから自分が通う教会には悩むらしい。あんまり目立ったり煙たがられたりするのも嫌だし、とか。おふくろも48年間「牧師のお説教」といえば親父の話しか聞いてきていないわけで。その空気感みたいなものがなくなるというのは妙に落ち着きがわるいそうな。いつもは説教の出来に色々とダメだしをしてきたけれども、無くなるとつまらない・・・そんな感じらしい。なるほど。東北のほうの先生に、「牧師は説教の数で決まる」とおっしゃる方がいた。言われてみれば、語る回数をこなしていくうちに「牧師になってゆく」というのも納得する。考えて見れば、父親は2000数百回日曜説教をしてきたわけだ(笑)。へぇ~。なんだか気が遠くなるな。。。。なんてことを考えながら軽い家族旅行だった。

 水曜日と木曜日は急遽「前夜式」と「告別式」(前夜式とは仏教でいう「お通夜」のこと)を執り行うことに。うちの教会の信徒生活が長い方が日曜夜半に急に天に召されてしまった。最近初めてゆっくりごあいさつしたばかりの方だったので驚いた。最後まで苦しむことはなかったそうで、そのことは良かったけれど、ご高齢のお連れ合いの喪失感とはいかほどかと考えると切ない。花冷えの雨と、花吹雪とも合いなって、忘れられないご葬儀になった。慰めがありますように。

2010年4月3日土曜日

 山梨は富士吉田市の正福寺でのお堂でのコンサート。住職さんの代がわりの法要のプレイベント。

「西洋坊主と和風坊主が出会う」
 と題して招いていただき、対談&ライブ。直前には音楽法要も行われていて、初めて聴かせて頂いた仏教賛歌も、サンスクリット語の独唱もとても新鮮だった。

 その新住職さんは僕のもと現場マネージャー。いつの日かこんな日が来ればいいね、なんて半分冗談で言っていたのがこうして現実に。ある意味お互いに新たなスタートラインにたったという感じ。とても雰囲気の良いコンサートになって大感謝。紙飛行機は飛ぶは、歌声は大きいは、さすがもとマネージャー、ちゃんと下準備してくれていたんだろうなぁ。ありがたや。
 みなさん温かく、とにかく町をあげての大事という観。ご近所からもお手伝いやら動員やらで、すごいな。やはり300年以上もその地に根ざしてきたという歴史。住職って「そこに住む」仕事だものな。明日は大法要なんだそうで、無事につつがなくウマくいくことを願います。





 こちらはこちらで教会では明日はイースター。
ちょっとですね、とりいそぎ今夜はですね、あまり時間がないのでこれにて・・・(笑)。

またあらためて詳細を。







タメゴローin本堂
吉田うどん美味っ!





2010年4月1日木曜日

春が来た


 ぬるい風にかるい嵐、まだまだ咲き始めのソメイヨシノはがんばって散りはしていない。久しぶりの日差しも加わって
「嗚呼、春が来た」
と一言つぶやきながら空を見上げた。
 
 デビュー22周年を祝ういくつかのメッセージも届いています。どうもありがとうございます。今日からは23年目がスタート。これからも懲りずにどうぞよろしくお願いします。自分なりのペースで、自分なりの道を進むことが許されたらいいな、と考えていますけれど、そう簡単にはいかないこともあるでしょう。逆に何だか上手くいくこともあるでしょう。いずれにせよ、どうあれ、とにかく、みなさんにお付き合いいただけたら、それはもうブチ幸せマス(宇部弁)。